宏孕ARTクリニックが夢を叶えてくれました。
(新竹市 42歳 公務員)

私と夫はともに1970年代前半生まれで、結婚後避妊をしていませんでしたが妊娠せず、2003年から不妊治療を始めました。卵管造影や子宮鏡検査は全て正常でしたが、2004年・2005年に4回の人工授精に失敗しました。2006年、33歳の時に一般的な体外受精にチャレンジしたところ、不妊の原因は精子と卵子の結合が難しいこと(13個の卵子に対して自然受精が1個だけ)だと分かりました。33歳から36歳の間に合計3回の一般的な体外受精を行いました。全身麻酔で採卵し、新鮮胚と凍結胚を合計5回移植(培養二日目の卵管移植を含む)しましたが、全て失敗に終わりました。2009年(36歳)に台中の中国医大付属病院で張先生のカウンセリングを受けましたが、当時はそれほど状況が切迫しているとは思わず、もしかしたらまだ自然妊娠できるかもしれないという幻想を持っていたので、体外受精はしませんでした。この時は漢方薬やサプリメント、針灸をしていました。また、薬草を自ら試した神農の精神に倣い、各地の寺院に参拝し、子宝を授けるという「雪山トンネル貫通石」や「金のシャベル」を何本も集め、少し変わった治療(精子の質を高める為に夫が精索静脈曲張手術を受けたり、夫の血液から取り出した白血球を私の手に注射したり)もしましたが、一向に成功しませんでした。

2012年、仕事で北部に引越しました。漢方医に、私が漢方薬をもう何年も服用しているので西洋医学の婦人科で排卵の有無を確認するようアドバイスされました。ちょうど張先生も台北でホンジクリニックを開業して、交通が便利な場所にあり診察の時間帯も都合よく、また張先生の提唱する自然周期療法に私も共感したので、39歳の時にホンジクリニックで一回目の治療を開始しました。この時は誘発剤を服用しただけで、麻酔なしで3個採卵し、グレードAの胚盤胞まで培養して冷凍することに成功しました(なかなか高い投資利益率でしょう!)。2013年3月に自然周期で冷凍胚盤胞を2個移植し、妊娠判定日のβ-hcgは71で着床はしましたが、その後胚が萎縮してしまいました。

しかし冷凍胚盤胞で着床はしたのだから、戦略を変えて次は新鮮胚を移植することにしました。2013年7月にまたホンジクリニックで2回目の治療に入りましたが(生涯で5回目の体外受精)、排卵してしまい人工授精に切り替えるという悲惨な事件がおこり、その時も当然のことながら妊娠できませんでした。2013年9月に再挑戦しようとしたところクリニックの休診に当たってしまい、次の周期を待ちたくなくて、臨時で北○にクリニックを変更しました。
2013年10月に北○で一般的な体外受精(排卵誘発剤を合計2850IU打った)をし、全身麻酔で4個の卵子を採取して3個が受精し、培養二日目・普通グレードの胚3つを移植しました。病院からもらった受精卵の写真を見ながら、3つそれぞれが自分の気に入った場所に落ち着いてくれることを祈りましたが、全身麻酔の採卵のせいか、お腹が車に轢かれたかのように痛み、移植時にもまだ痛くて、妊娠検査薬はやはり予想通り綺麗な一本線でした。
張医師の無麻酔採卵は痛くないので、2013年末にまたホンジに戻って治療を受けました(張先生に断られなくて良かった)。しかしこの時は、私は注射のみで内服薬を飲まないことを主張しました。そして採取できた卵子のうち使えるのが1つのみで、この唯一の培養三日目・8個の胚盤胞を移植しましたが、成功しませんでした。張先生は以前のように凍結胚盤胞を自然周期で移植することをすすめましたが、私は凍結胚移植をしないという自分の考えを曲げませんでした。

2014年3月にホンジで新鮮胚移植をしました。新鮮胚盤胞1個と桑実胚1個でしたが、妊娠検査薬はまた一本線でした。しかしこの時、自分は移植後に血栓の数値が上昇するという問題があるかもしれないことに気づき、自分で他の病院の免疫リウマチ科で診察を受けたところ免疫血栓の問題があることが分かりました。チキンエキスやツバメの巣を禁じられ、移植前に免疫グロブリンやヘパリンを打つことを勧められました。
2014年5月に私はようやく、たくさんの凍結胚を集め、何回かに分けて移植するという張先生のアドバイスを受け入れることを決意しました。ホンジで13周期をかけて、22個の受精卵を貯め、8つの胚盤胞を得ました。そして2015年11月、13回目の採卵で得た新鮮胚盤胞と2つの凍結胚を移植し、その後他の病院でヘパリンを打ちました(張医師はこの事を知った後もヘパリンが妊娠に有効に作用するという考えに賛同しませんでしたが)。そしてついに、1人を妊娠し、現在22週です。まだ5つの凍結胚がホンジに残っていますので、いつかまた次の子どもを連れて帰ることができたらと考えています。

余談:ホンジで胚盤胞を収集している時、私は同時に新竹にある、ラボがとても優秀だという不妊専門クリニックに行き4回の採卵をしました。毎回、綺麗な受精卵や卵子の写真をもらい、合計4個の受精卵から1つの胚盤胞を得ましたが、PGS検査で異常が見つかり移植まで至りませんでした。新竹の医師は私がドクターショッピングをしていると考え、この事について面白くないようでした。彼のクリニックは私の最後の砦で、ここで駄目なら他に行っても駄目だとその医師は自負して言いました。さらに、その医師はもし私が連続した周期で使える卵子を採取できなかったり、43歳を超えたりしたら、もう採卵はしない、卵子提供に切り替えるとまで言いました。その医師がそれほどはっきりと私にこう言ったことに感謝するべきかもしれません。なぜならその言葉で、私はこのクリニックとは縁が無いとはっきり悟ったからです。幸い、張先生もクリニックを再開したので、またホンジで胚盤胞収集を開始し、そしてPGS検査をせずに4つの胚盤胞の中で1つでも正常であることを祈ることにしました。さらに、もし本当に自己卵が駄目なら卵子提供を受ける覚悟を決めました。

感想:不妊治療は人生の反映だとつくづく思います。
私は動くのが遅く、優柔不断で迷ってばかりで、一度に一つのことにしか集中できません(だから胚盤胞を貯める凍結胚移植と、一人っ子が私には合っているのかも)。疑問と迷いを抱えながら、涙と笑顔と共にひた走ってきました。
不妊治療をしてきた十数年間、最初は天を恨み、夫を恨み周りを恨み、失敗するたびに夫と喧嘩して離婚すると叫び、最後は夫と一緒に抱き合って涙を流し、子どもの為になぜこんなに苦しむのだ、この人生は夫と二人だけで過ごせばいいじゃないかと自分に言い聞かせてきました。他人が妊娠したと聞けばまた辛く、2008年に二回目の体外受精に失敗した翌日に親戚が自然妊娠で2人目を妊娠したと聞いたときは、もともと私たちの所に来るはずだった子どもが彼女達に取られたとまで感じるぐらい心がねじ曲がっていました。今振り返ると、あのような醜い心では子どもだって近づきたくなかったと思います。このようにして今まで来ましたが、私はだんだんと判って来ました。それぞれの幸福はお互いに衝突しない。謙虚に、そしてあきらめなければ、子どもはやって来るということを。胚盤胞を貯める過程で上手くいかない時は、「私たちが人の親になるという責任を背負うのに足る人間かどうかを、子どもが観察しているのだ」と思うようにしました。ですから2015年10月の治療中、また同じ親戚が3人目を妊娠したということを聞いた時は、すぐに心から祝福する気持ちになれました。なぜなら、私たちの子どもも私たちが迎えに来るのを待っていると分かっていたからです。

アドバイス:良い不妊治療の医師はたくさんいます。自分に合った医師を見つけるには、医師と十分に話し合うことです。ホンジでは綺麗な写真はくれませんが、張先生の採卵技術はとても上手です。そして張先生の「黒髪と白髪理論」は、言い換えれば確率論を判り易く説明したものですが、AMHがほとんど閉経状態に近いまで低かった私が限られた時間内で「黒髪」を探す為、ほぼ毎周期に渡り採卵をしました。卵胞の中に卵子が見つからなかったことも、3つの受精卵が全て凍結できないグレードだったこともありました。でも、一つしか卵子が採れなかったのにそれが使える胚盤胞まで成長したこともありました。ですから、毎回の周期は全て状況が違います。治療が一度うまくいかなかったからと言って落ち込むことは無いのです。自分の状況(予算、身体、心、仕事等)に合わせて適した治療法を選び、精神的にもバランスを保つことが大事です。もし上手くいかない時は少し贅沢な食事をしたり、普段は買えないようなご褒美を自分にプレゼントしても良いでしょう。不平を言う時間を少なくし、治療中の挫折や待ち時間に感謝しましょう。なぜならそれらによって、自分が子どもを望む気持ちは外的要因によってもぶれないということを改めて確信できるし、同時に、更に強く優しい自分になって新しい生命に愛と祝福を伝えられると思うからです。

治療中の方々へ:努力し続けることはあきらめるより簡単です。赤ちゃんは必ず来ます、ただ少し遅れて来るだけなのです!