不妊の15年間は、辛いものでした。病院の理不尽な検査に精神・体力両面で疲れ果て、子供を生むという願望などとっくに捨て去っていました。

主人は長男で、長期間にわたり不規則な生活をおくり、毎日お酒を飲んでいました。精子は活動力が足りず、数も雀の涙ほどでした。
お姑さんには、私にプレッシャーをかけないでいてくれ大変感謝しています。
人工授精を2回したことがあります。主人を含めたくさんの人から体外受精を行うよう言われてきましたが、私はずっとしたくありませんでした。
私はずっと、それは自然ではないと思っていたのです。神様から子供を授かるなら、自然に手に入るものであり、体外受精をしたからといって必ず手に入るものではないからです。
結婚という機会を通じて、私は張宏吉先生と知り合いました。
9/9の初診では、主人は行きませんでした。張先生は「なぜご主人が来ないのだ」とおっしゃいました。先生は、妊娠は2人が共に負担することが大事と考えているのです。
張先生の説明では、「不妊症は私の専門です。2001~2007にニューヨーク大学で長年研究を行った技術は、台湾の5~10年先をいっています」とのことでした。
そして先生から「18、19歳の時、あなたはどんなことを考えていらっしゃいましたか」と尋ねられ、私は不思議そうに先生を見ました。
「当時、あなたはすばらしいご主人と出会い、赤ちゃんを生む(ご主人があなたに自信を打ち立ててくれている)と想像していたのですね。出産率に基づけば、1年で数十万人の赤ちゃんが誕生し、また同時に数万人が去る運命にあります (つまり、人工流産です)。妊娠は簡単でしょうか。簡単なものなのです。」と、先生は私の妊娠への切望を改めて目覚めさせていたのです。
そしてまた、「もしも目的が妊娠なら、卵巣チョコレート嚢胞関係がありますか?卵管が通じているかも一番大切ではありません。一番大切なのは卵子、精子が本当に結合していることなのです」ともおっしゃいました。
張先生の方法は正常な周期を利用して、単に卵子、精子を採取して受精させてから移植するだけであり、費用は従来の半額で、更に痛みもないというものでした(これには引かれました)。
そこで9/9週の7日目に、張先生は卵泡を目にすると、その日から注射を始めることを即決されました。注射3回、薬5錠だけでした。
その後、2日に1回外来に来て、卵泡の進度をチェックしていただきました。
この過程は一般の体外受精とは違い、(私の周囲にいる友達数人は医療・看護関係者だったので、過程と投薬に興味をも持ちました。私は体外受精を受けたことがないので、比較のしようがありませんでしたが)
9/15週の13日目に点鼻薬-SUPREMON(hCG用)を使い、15日目である9/17に採卵、採精を行い、麻酔なしで卵子を採取しました。
従来の治療法に慣れた担当者達も実験室でびっくりしていました(張宏吉先生は9月1日に中国医薬大学生殖医学センター主任の仕事を引き継がれたのです)。
ですが私は信頼感を持ちました。緊張することなく、かえって心の中で張先生を支持していました。
1つ目の採卵時には痛みを感じ、それからは注射ほど痛くはありませんでした。私は左右に卵子が3つずつあり、2つの卵子だけを採取しました。
終了後には私は自力でベッドから立ち上がることができました。
看護士に痛いですかと聞かれたので、私は笑いながら「まあまあです」と言うと、皆様も胸をなでおろしていました。
張先生と実験室の担当者全員、そしてMさんのサポートに感謝します。私達はすばらしい試みを成し遂げたのです。
張宏吉先生は医療と病気との関係を大切にする方で、私に過程と原因を説明してくださり、私はこうして不妊症のさまざまな関連知識に理解を深めました。
根気とユーモアに支えられ、私の治療は常に楽でした。
9/18に電話で受精したかを尋ねました。結果は2つとも受精していたので、9/19の移植を予約しました。
当日、張先生はコンピューターを使って胎芽の状態を見せてくれました。画面ではすでに4つの細胞に分裂していました。
移植時には、張先生には子宮の超音波写真も撮ってもらい、これが移植の位置だと教えていただきました。
張先生からは、「家に戻ってゆっくり休み、ご主人にはここ数日はできるだけあなたに合わせてもらい、重い物を持たず、あちこち走り回らないようにして下さい」と言われました。
9/23に採血して黄体ホルモン値を検査し、9/24に報告書を見て、40を超えたので、14日目の妊娠検査を待つことになりました。
そして10/2 に採血し、hCG 検査の結果では妊娠確定と出たのです !!!
わずか 23 日の間に、張先生の力で、従来の治療のような苦痛に耐えることなく、従来の治療の半額にもならない費用で、私が 15 年も待ち望んだ妊娠への想いが実現しました!!!