41歳、木柵在住、結婚後14年。張宏吉先生と生殖医学センターのチーム全員に支えられ、3回目で妊娠。私は自分の心がたどった道を体験談としてお話します。

実は結婚したばかりの頃、主人の実家の住み心地にあまり馴染めませんでした。そのためとりあえず産むのをやめておこうと思ったので、避妊をしていました。2番目のおじと2番目のおばは未婚で妊娠しました。取り急ぎ結婚式を終えてから、一家は一緒に住んでいました。ある日、おばが突然私に名刺を差し出して、このお医者さんは不妊症の診断で有名だと話してくれました。その頃私は、自分はまだ産みたくなかったのであり、不妊症ではないと思っていました。その後引っ越してきて、子供を産むと決めてから、お腹にどうして知らせがないのかと思いはじめました。おじのほうでは子供がもう2人も生まれています。こうして私はお医者さんに見てもらうことに決め、不妊症治療の道のりが始まったのです。この時には、結婚後3年が過ぎていました。

最初の頃は恐らく皆様と同じで、一連の検査を受けました。一番はっきり覚えているのが、台北の大病院で卵管造影を行った時した。それは十数年前でしたので、設備はまだそれほど先進的ではありませんでした。体全体をベッドに横にして検査を始めると、下腹部全体にだるさと痛みがあり、涙が思わず流れ出で来ました。その後、子宮内人工受精を1回しましたが、成功しませんでした。漢方薬を飲んで体を養生しよう!と思いました。こうして数年も飲み続け、漢方医も何度も何度も換えました。薬膳療法を数カ月してから、もう一度病院で試してみようと決めました。この時、私はすでに36歳になっていました。

大病院で2回目の人工授精を試してから、私は妊娠しました。結婚して8年半過ぎてからのことです。1人目の子供を身ごもりました。この喜びは言葉では言い表せません。高齢出産者なので、ダウン症の母体血胎児染色体検査を行いました。検査結果ではその確率は低いと出ました。羊水検査をすると流産の危険性が高まると心配したので、しないと決めました。妊娠後22週目ぐらいになって、詳しく胎児超音波写真を撮ることで、身ごもったのが男の子だと分かりました。ですがすぐに、超音波検査室の医師が胎児の心臟に問題があると言われ、その方が書いた診断書を見せてくれました。英語の医学専門用語が山のように書かれ、見ても何だか分かりませんでした。思わず恐怖がよぎりました。外来医師が眉をしかめるのを見て、内心更に怖くなりました。その後、外来専門の施先生にもう1回胎児の超音波写真を撮るよう依頼しました。施先生の診断結果を聞いて、まるで天罰を受けたような気になりました。その後で、もう一度確認したいと思い、2軒の大病院の産婦人科を駆け回りました。どちらでも施先生の超音波撮影を見れば、もう再撮影はいらないとおっしゃいました。心臟科の担当医に代わりに確認をしていただきましたが、結果もほとんど変わりませんでした。肺動脈が閉塞し、右心室が萎縮して発育不全だったのです。簡単に言えば、左心房から出てきた血液が右心室に戻ってから、肺動脈を通じて左心房に至らなかったのです。胎児は生まれたら手術が必要で、そのうえ何度も必要になると言うことでした。処方薬も一生服薬しなければならず、運動もできませんでした。何ということでしょう。私は自分の子供にこんな苦しみを与えるのは忍びません。そこで25週目の時に、妊娠を中断しました。私は妊娠してから4日してようやく彼が生まれてきました。でもすぐに私の1人目の子とはさよならを言わなければならなかったのです。

誘発分娩が終わり、産後養生が終わって、1カ月休憩したら、病院に行って試してみました。恐らく子宮はまだ受精に適しているでしょうから。初めて人工授精を試し、私は順調に2人目を宿しました。妊娠の過程全体では,胎児の心臟が私達が気にした点でした。そしてこの胎児には私達はどんな検査でもしました。私の女の子が健康な子供であることだけを望みました。その子は私が結婚して10年目に生まれました。子供のためと思い、私は母乳をあげることを選びました。その子が1歳2カ月になるまで与え続け、それから断乳しました。私のあの機会に恵まれなかった子供にもう一度生まれてきて欲しかったのです。

以前は2胎とも人工授精で妊娠したので、私は3胎目もできるのではと思っていました。2008年12月から2010年2月までの時には、私の年齢が高くなっていたので、すぐに妊娠したいと思いました。以前の病院で人工授精を7回、試験管内受精を3回行いましたが、全て失敗しました。一体どうしたのでしょうか?私はいつも手足が冷え症でした。だから以前試験管内受精をした時も採血してホルモンを検査しても、毎回1、2針刺さなければ採血ができませんでした。採血センターの担当者からはいつも、最初にぬるま湯を少し飲んだようが採血がしやすくなると言われました。最後に試験管内受精をした時には、12月だったので、外は寒く、手術室は更に冷え冷えしていたのを覚えています。従来の採卵では全身麻酔が必要で、前日深夜は飲食できず、手術室に入ったら血管が更に縮んだのです。点滴を打つ時には、両手それぞれに2針打ちましたがやはりどうしようもありませんでした。代わりに手の甲に刺しましたが、左手がダメなら右手に換え、右手の甲でもダメなら、足の裏に刺さなければなりません。幸い右手の甲の時点で成功しました。そして大病院は日曜日が休みなので、月曜日の朝に最初の採卵を予約しても、恐らく採卵時間が遅すぎたからかもしれません。今回は受精さえしませんでした。ああ、また失敗だったのです!

最初に張先生の自然療法を知ったのは、会社の昼休み時テレビのニュースを見てです。あの時は中国医薬大学がどこにあるのか知りませんでした。ネットで調べると台中だと分かったので、それで終わりでした。数カ月経って、またニュース報道を見ました。また失敗していたので、試しに行ってみようと思いました!初診受付は2010年3月のとある土曜日で、朝一番に主人が車を運転して私と娘を連れて台中に行ってくれました。すでに周期が13日目に入り、まず状況を把握しようと思ったのです!その日は卵子を9個採取すると聞きました。張先生に会うのは、すでに午後になっていました。うわあ、張先生は何て若いのでしょう!先生は超音波検査の結果を見終わると、卵子が1つしかなかったのに、私に明日するので来るようにとおっしゃいました。採血してホルモンを見て、報告を待つのです。注射を全然しない自然周期試験管内受精を試す準備をするのです。そもそも翌日には主人の会社である社内旅行に参加予定でした。少し戸惑いましたが、明日は自分で来てしてみることに決めました。その後翌日には採卵は間に合わないということで人工授精をしましたが、成功しませんでした。それでも張先生の新しい方法は試してみる価値があると思ったのです。

それからは、次の周期には張先生の提案に従いました。毎回の卵子数が多くなかったので、まず受精卵を凍結させてから、その後一緒に移植することに決めたのです。4—6月には卵子を合計3回採取しました。3回目には一緒に移植しましたが、最後には質が良かった受精卵は1つしかありませんでした。頑張ってみるしかありませんでしたが。やはり失敗しましたが、費用、注射回数、そして体への影響は、張先生の自然療法では比較的少なかったです。卵子の採取では麻酔は不要で、多少だるさがありましたが、少し休憩したら大丈夫になりました。

あまりにも頻繁に続けたので、少しの間休憩しようと決めました。そして生理の量も少なくなったと思い、飲む薬を漢方に換えて体質調整をしました。調整を始めて4カ月すると、漢方医は私の体調が同年齢に比べて、悪くないと言えるのではないか、自然妊娠を試してみるか、或いは西洋医の手助けを求めてもいいのではないかと考えました。そのため今年3月に再度張先生に診察に伺いました。今回は卵子を2つ採取し、状況もまあ悪くなく、主人の精子の状況もとても良かったので自然受精をしました。移植前には兆容さんから受精卵の分裂状況が良く、高レベルの範囲に当たると言う話を聞きました。いい予感がしました。2つ移植して、医師の指示により時間通りにプロゲステロンを補充するほかにも(注射はまあまあでした。ただ夜プロゲステロン膣座薬を3つ詰めました。分泌物が増えましたが、それ以外にも膣が感染するのではとずっと思っていました)、気を楽にしました。頭を洗うのも立って洗うようにして、腰を曲げて洗わないようにしました。腹部に力をかけないようにするためです。妊娠検査日になると、妊娠検査薬を2個買って、今回検出なかったら次回また買わなくてもいいようにしました。検査を始めたばかりの時には、1本の線が現れました。ああ、入浴しに行こう!入浴が終わって出てきたら、妊娠検査薬には夢にまで見た2本目の線が現れているではないですか。嬉しいに決まっています。ただ1胎目の経験があるため、これからは長い道のりになると分かりました。検査後に、胎芽が1つ着床しました。プロゲステロンの補充を続けるほかにも、7週目にも9週目にも胎児の鼓動が写し出され、正式に治療終了できるようになりました。正常な妊娠検査の流れに戻ったのです。頑張れ。私の赤ちゃん。君が健康な体でありますように!

実は子宝への過程では、一人一人に自分の心が歩んだ道のりがあります。或いはあなたが行った回数が私より多いかもしれないし、私より少ないかもしれません。あなたは或いは成功したか、或いはまだ頑張っている途中かもしれません。私はただ皆様と励まし合いたいだけで、お医者さんにまた数カ月の時間を与えたくはありません。そうしても自分自身に数カ月の時間が増えるだけで、自分のプレッシャー無駄に増えるだけだからです。漢方医がおっしゃったのと同じように、あなたは子供が欲しいのなら、更年期になって出産できなくなるまで試してみれば、それでようやく悔いは残らなくなるでしょう。張先生が「白髪」理論でおっしゃった通りです。つまり、あなたが今回生えているのは白髪なら=>受精できない、今回生えているのが灰色の髮なら=>鼓動がない、今回生えているのが黒髪なら=>鼓動あり、と言うことです。それはつまり、あなたには今回生えているのが何色なのかは分からない、ということなのです。だからいい気分になって、思いついたときに試してみましょう。或いは次に成功する人はあなたかもしれません!皆様を祝福します!

最後にやはり生殖医学センターのメンバー全員-張先生、兆容さん、芷珊さん、家柔さん...及び名前も知らない他の医療・看護師の方々に感謝いたします。皆様は活き菩薩のようであり、私達のように出産に障害があった人を救済してくださいました。ただ、私達のような患者の生理周期に合わせるため、皆様が週末・土日でさえも休憩できない姿をお見受けしました。これでは本当に疲労困憊してしまいます。短期的には或いはいいかもしれませんが、長期で歳月が重なると、誰でも耐えられなくなります。年中無休で私達患者に接してくれるのは嬉しいことで、一番適切な機会を捉えて最高の治療ができるでしょう。それでも出産に障害がある人に更に息の長いサービスをするためには、適度なシフト制や休憩があってこそ、医者と患者の双方にいいスタイルでの運営方法が見つかるのではないでしょうか!
2011年6月17日
親愛なる張先生。こんにちは。私は葛xxです。2011年11月29日に自然妊娠で男の赤ちゃんを産みました。その後の妊娠検査で羊水不足が見つかったので38週目後に出産を早めました。子供の体重は2818グラムでした。張先生と生殖医学センターメンバーの皆様の支えに感謝いたします。今ではbabyが生後1カ月になろうとしています。張先生と生殖医学センターのメンバー全員に1カ月祝いの油ご飯をお送りし感謝の意を表したいと思います。改めて心から張先生と皆様に感謝いたします!

張先生が台北で新たに開業なさる予定と知りました。未だに子宝への道で奮闘している夫婦達がいらっしゃるので、彼らのためになればと心から嬉しく思います。機会がありましたら同僚に受診を紹介させていただきます。万事順調でありますように!