千里離れた夫婦の縁で、国を越えた子宝を求め(二)

曾さんによる取材

「私は実はそれほどあれこれ考えている訳ではありません。努力すれば大丈夫です!」医療に詳しい張さんが、長年悩んできた不妊症問題を口にし、ゆっくりと自分の考えを語りだしました。ご主人はヨーロッパ人で、2人は結婚してから、ヨーロッパのとある美しい町に暮らしていました。4年前に張さんは仕事の都合で台湾に帰国しなければならなくなったので、ご主人も一緒に台湾へやって来ました。出産に期待を抱きながら、彼女は自然妊娠をしましたが、8週目に入って胚に鼓動がないのが分かり、流産手術を受けました。それから不妊症の悪夢にうなされるようになってしまったのです。
科学に信頼を寄せる2人は、積極的に医学治療の道を探り、一連の不妊症検査を受けましたが、原因は一貫して分からずじまいでした。何度か人工授精と体外受精を受けましたが、そのたびに期待は失望に終わりました。
「身体的な苦痛は私にとっては何でもありません。心のプレッシャーこそが最大の試練でした」。張さんは心に潜めていた気持ちを口にし、不妊症で悩む多くの女性が心に抱く声を語ったのです。
「また生理が来た-トイレでそれを目にするたびに、泣く涙も枯れ果てた想いでした…」
「女性の年齢とは残酷な現実です。私はすでに高齢出産者に入るので、これ以上長引かせることはできません!」
医療の専門知識を持つ彼女は、女性が生命を育む機能は、年齢とともに衰えるものであると自然に分かるようになりました。そのため失敗が次から次へとやって来たとしても、勇敢に向き合うことを選んだのです。努力さえすれば、希望があるのですから。
その時に、張さんは2人の別々の人から、中国医薬大学付属病院生殖医学センターの張宏吉主任の名前を耳にしました。そのうち1人は張さんの先生で、もう1人は張さんのクラスメートでした。
そこで張さんはインターネットで張主任の情報を検索し、また張主任のブログを熟読しました。ブログの多くの文章で「自然周期療法」と「マイルド刺激療法」の話が掲載されていました。
彼女が理解していた従来の体外受精とはどうやらあまり似通っていないようでした。張宏吉主任がかつて、アメリカの有名なニューヨーク大学生殖医学センターで6年間専任科学者を務め、数年間にわたり生殖医学分野でずば抜けた研究成果があることを知りました。張さんの心の奥に一筋の光が差し込みました。「この人こそ私が探すべき人だ!」彼女は直感でそう感じたのです。
張宏吉主任の外来を受けて、全ての状況を細かく評価してから、2人はすぐに「マイルド刺激療法」を受けようと決めました。張さんのご主人は事実に立脚した考え方を持つ人でしたので、張主任は彼と向き合う時には流暢な英語で、例え話をしながら自然周期療法の概念を語りました。
「もしもあなたがリンゴの木の下に座り、一番熟してちょうどいいリンゴを食べたいと思ったらどうでしょう。あなたは木1本を丸ごと切り落としてから、倒れた木の脇でリンゴを1つ1つ選び取ることもできます。或いは、低いところに生えている枝を揺らしてから、熟して落ちたリンゴを1、2個食べられないか試してもいいでしょう」。ご主人は聞きながら大きな笑い声をあげていました。そして張宏吉主任が他のお医者さんのやり方と違い、科学的根拠があることもはっきり分かったのです。
「生殖医学センターの専門チームは、私が以前体外受精を行った病院に比べて、厳格さと専門性の度合いがやはり違いました。だから私はとても安心できたのです」。
このように安心した気持ちの中のため、胎が無事に彼女の子宮に着床したのかもしれません。妊娠を知った瞬間、今までずっと気丈に振舞っていた張さんですが、やはり感動の涙が抑え切れませんでした。張さんは38歳の高齢妊娠により、10年近くも歩んできた不妊症の道はついに終点を迎えたのです。
「私はあきらめようなどと考えたことは一度もありませんでした。実際に私が本当に成し遂げたのが証拠です!」
決してあきらめない-そんな彼女の経験談を聞いて、不妊症の夫婦が積極的に問題に向き合い、適切な治療を探し求めるよう勇気づけられています。努力さえすれば、希望があるのですから。